西武バス90年の歴史

1932年の設立以降,90年に渡る
「西武バス」の歩みを振り返ります.

1932年~

1932年

東浦自動車設立

12月19日に埼玉県浦和町(現:さいたま市)に「東浦自動車」の名で設立された。

1936年

菖蒲倉庫からの路線譲受で埼玉県西部へ進出

東大久保~所沢間、浦和~川越間の路線を譲受し埼玉県西部への進出を果たした。その後まもなくして東浦自動車は多摩湖鉄道傘下に。

1940年

東浦自動車を傘下に抱える多摩湖鉄道が武蔵野鉄道と合併

1945年

武蔵野鉄道と旧西武鉄道が合併し、西武農業鉄道に改称

1946年

武蔵野自動車に改称し、西武農業鉄道の自動車事業を譲受する

武蔵野鉄道・旧西武鉄道が運営していたバス事業を傘下の東浦自動車に一元化した上で武蔵野自動車に改称。現在の西武バスの原型となる。

1947年

本社を所沢に移転・西武自動車へ改称

3月に東浦自動車の浦和本社から所沢へ移転。
11月には西武自動車株式会社へと社名を変更し西武鉄道関連会社としての地位を確立。
このころは終戦直後の物価高騰や資材不足の中、軍用車両の払下げを受け休止路線の再開や東京都内への新規路線の開設など輸送力増強に努めていた時期でもある。

1948年

石神井公園駅~新橋駅間(目白駅経由)を東京都交通局と相互乗り入れで開業

東京郊外の宅地化に伴う直通通勤需要に答え、東京都交通局や関東乗合(現:関東バス)との共同運行で都心直通路線を開業。
新橋駅の他に東京駅北口、新宿駅西口にも進出した。

1949年

西武鉄道沿線と国鉄中央線を直結する路線 石神井公園~荻窪駅間を新設

前年の所沢駅・吉祥寺駅間に続き、西武鉄道沿線と国鉄中央線を縦に結ぶ路線として脚光を浴びた。
その後も活発な路線新設により練馬~成増間、石神井公園~荻窪間など都内の路線の他、武蔵小金井駅や立川駅、武蔵境駅発着など多摩地域の路線も拡大され、現在の路線網の原型が出来上がっていった。

1950年代

1950年

初めてディーゼルバスを導入

それまで主流であったガソリン車や、木炭・薪・コーライトなどの代替燃料を用いる代燃車に代わってディーゼルエンジンを使用する車両を導入。

1952年

貸切バス事業の免許を受ける

経済復興と共に増す観光需要に応え貸切バス事業を開始。

1953年

“笹の葉”デザインのバスの運行開始

この年の導入車輌から、軽快さと躍動感を表すピーコックブルーの“笹の葉”デザインを採用。
既存車輌も順次塗り替え1960年ごろには笹カラーに統一された。

1956年

中津川(秩父市)の道路事情に合わせた通称“三角バス”を導入

秩父地区で中双里から中津川まで路線を延長したのに伴い、途中の狭隘トンネル通過用に窓から上を内側に絞った特注車を用意して運行した。
その特徴的な形状から三角バスとして呼ばれ親しまれた。

1958年

軽井沢地区のバス事業譲受

国土計画が軽井沢高原バスを吸収して運営していた軽井沢地区の路線バス事業を譲受し、当社としての軽井沢地区事業がスタートした。

1959年

国分寺駅バス専用道開設

多摩地域における路線拡大の中、手狭となっていた国分寺駅北口発着路線の輸送力増強のため西武多摩湖線複線化用地を活用して国分寺車庫(現:国分寺駅北入口)までのバス専用道を開設。
津田塾大学などの路線を国分寺車庫発着とし大量輸送に対応した。

1960年代

1961年

西武新宿駅・西武池袋駅~軽井沢・千ヶ滝・鬼押出し間の急行バスを新設

軽井沢地区にベースができたことと業界における長距離バスブームを背景に、軽井沢急行線を新設。当社初のリクライニングシート・冷房・エアサスペンション付きの豪華バス(いすゞBC161P)を用意し、片道5時間20分、運賃700円で運行した。

1962年

所沢駅~新所沢駅間で最初のワンマン運行を実施

路線拡大や運行時間帯の延長など輸送力を増強するにつれ顕在化してきた車掌不足を背景に乗合バスのワンマン化を開始。
当初は「ワンマンカー・無車掌バス」の表示を前面と側面に大きく装着してお客さまから区別できるようにした。

1963年

帰郷バス運行開始

貸切バスを用いて東北・信越方面への帰郷バスの運行を開始。夏の旧盆と年末に運行され盛況を呈した。

1964年

東京オリンピックで貸切輸送を担当

選手、観客、スタッフ、報道輸送に貢献。特に馬術競技が行われた軽井沢では大きな役割を果たした。

1969年

「西武バス株式会社」へ社名変更

ハイヤー・タクシーの乗用部門を西武ハイヤーへ譲渡し、西武自動車から西武バス株式会社へと社名変更。
以降は名実ともにバス専業会社としての道を歩むことになった。

1970年代

1970年

大阪万博で貸切輸送を担当

新生西武バスとして最初の大仕事。
アジア初、史上最大の万国博覧会への輸送を支えた。大阪への長距離・高速輸送を成し遂げたことで貸切バス事業にとって明るい未来を感じさせる経験となった。

1970年

四面道~荻窪駅北口間に都内で3番目のバス専用レーン設置

1960年代以降のモータリゼーションによって道路混雑が悪化し、バスの定時性確保が大きな課題となっていた。
その中、都内で3番目となるバス専用レーンが荻窪に設置され、定時性向上に効果を発揮。その後も小金井街道などで同様の専用レーンが設置され効果を上げていった。

1973年

方向幕の自動巻き取り器を採用

ノブを回して操作する手動式に代わって、電動の方向幕巻き取り器を採用。前/横/後の行先表示を手間なく連動させることができようになった。
これにより、60年代に使用中止していた後面方向幕が復活した。

1979年

冷房付き乗合バス導入

70年代前半から低床ツーステップ、広幅前扉車を導入するなど、より乗りやすいバスへ向けた取り組みを行うなか、その一つの完成形ともいえる冷房付き乗合バスが登場した。
当初は上石神井営業所と滝山営業所に導入されたが、特に上石神井営業所に導入された車両は大型方向幕を備える画期的なものであった。

1979年

所沢・立川~西武球場線運行開始

前年に誕生した西武ライオンズの公式戦スタートに合わせ立川駅、所沢駅から西武球場を結ぶ路線を新設。
また試合開催日には定期路線に加えてシャトルバスを運行することで観客輸送の体制を整えた。

1980~ Coming soon